先日、30歳を過ぎた息子の幼少期の言語録が出てきました。
学問的な興味というようなものではなく、
日記代わりにつけていたものです。
ある日の記録。
息子3歳。
「夏休み。私も〇〇(息子の名前)も二人きりの時間を持て余している。
『ねえ、母さん、これやって』『ねえ母さん、公園行きたい』『ねえ母さん、・・』
朝から〇〇の『ねえ母さん』を何回聞いただろう。疲れた。
『〇〇くん、もう、母さん母さん言うのやめてよお』と半ば怒り気味に言う。
すると○○は、首をかしげて考えて
『ねえ、りーえー(りえは私のファーストネーム)』
『あー○○くん、いいよ、母さんで(大笑い)』」
今では、私の「ねえ○○くん」にすかさず「自分でググって」と取り付く島もない息子。
子どもの言葉は成長とともに変化し、消えてしまいます。
でも記録があれば、後から読んだときには、昔を思ってわが子のすべてを許します。
そんな力が消えていく言葉にはあるのです。
宮武
「岡崎げんきっ子新聞(2022年11月号原稿)」