「~された」の使い方

  


「本日○○駅で緊急停止ボタンが押されましたので」

                                    

 私はもう20年近く電車通勤をしています。車通勤ができない事情はありませんが、日本の電車の時刻の正確さと車内での時間を有効に使えることを考えて電車で動いています。特にこの頃は年齢のせいか、実習巡回などの不定期な出張も電車を使うことが多くなりました。

 でも、実は私の想像しているより多く、電車は遅延します。そして、遅延した電車に乗っていると遅延理由と遅延時間を社内アナウンスで何度も知らせてくれます。

「本日○○駅付近で緊急停止ボタンが押されましたので本日この電車は15分遅延しております。」こんな感じです。 乗客である私は、「ふむふむ理由はわかったぞ」という具合に理解して、予定の授業に間に合うかどうかを考えたりします。 

 さてある日、このアナウンスが流れた時、横に立っていた高校生のグループの一人が「押すから停まるじゃん」 と言い、しばらくそのグループでは遅延理由の詮索が続いていました。「押すから停まる」「押さなければ停まらなかった」全くその通りです。

 自分の予定が狂うことへの憤りもあるでしょう。当然かもしれません。でも遅れた理由ばかり集約して考えてしまうのはなぜでしょうか。

 例えば、車内でずっと繰り返される遅延理由のアナウンス内容をこう変えたらどうなのでしょうか。 

「本日○○駅付近で緊急停止サインがありましたので、」

押された」の「され」は受け身です。「押された」ではまるで鉄道会社が厄介なことをされた被害者の立場で話しているように聞こえてしまいます。 押したのは乗客のお一人でしょう。でも緊急事態があったなら緊急停止ボタンを押さなければならなかったのではないでしょうか。それは仕方のないこと。けして加害者ではないという認識に立った言葉遣いをしたらいいのではないかしら。                                                       

 話し言葉は消えてなくなってしまうように感じます。が、聞いた人の、耳の奥に、心の奥に長く残っているものです。些細な言葉の使い方で聞いた人が嫌な気持ちにならないようにできたらいいですね。     

                                                 宮武

学生たちが作った名札です。裏に名前が書けるようになっています。参加のお子さんにもプレゼントしました。
宮武 里衣

宮武 里衣

愛知学泉大学 家政学部こどもの生活学科 教授。高校の国語科教員として30年ほど勤務し、縁あって現在は小学校の教員を養成する大学で「国語科教育法」などを中心に指導しています。高校生、大学生の「国語」の指導を通して、言葉の育ちは幼少期から螺旋的につながっており、特に幼少期の言葉への関りがその後の言葉に獲得に大きく影響していることを感じています。子どもの周りにいる大人が、少しでも子どもの言語環境に敏感になってくれたらいいなと考えてこの活動を始めました。保護者の皆様方もお子さんと一緒に楽しんでくださったらうれしいです。

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